博士たちの教育現場最前線 その日、シラカワ邸に集まった二人はノートと参考書片手に同時にため息をついた。 「なぁ、おれたちじゃもう限界じゃねぇ?」 「そうだよな。もうおれたちでどうこうできるレベルじゃないよなぁ・・・」 二人の目の前に広げられているノートにはややこしい数式やら意味不明の記号やらがびーっしり書かれている。 でもって参考書はぼろぼろでところどころ赤ペンでアンダーラインが引いてあった。 「そ−いやぁ、ライって天才技能あったっけ」 ふと思い出してリュウセイが言った。 「シラカワ博士にもあったよな?」 マサキもそういえばと頷く。 「たしかユーゼスにもなかったっけ?」 「多分あった、はず」 そうして二人は再び大きくため息。 「バトンタッチするか」 「おれたちじゃもうどうしようもないし」 こんな二人のやり取りが後の惨劇の引き金となるのだが、あいにくとこの二人はそのことをまだ知らない。 「というわけです」 「なるほど」 「納得するなっ」 すぱーんっ 「わーっ、いいおと〜vv」 ぱちぱちと拍手するのはプチ。 ちなみに手に持っていた本でつっこんだのはイングラムでつっこまれたのはユーゼス。加えてそのわきで呆れているのはシュウである。 「はいそこ、夫婦漫才をしている場合ではありませんよ」 「誰が夫婦漫才だっ」 「イングラム、恥ずかしがることはない。私とお前の仲だろう?」 どごっ 「う〜ん・・・おとはいまいち」 本の角で思いっきり殴られたユーゼスはそのまま床に倒れこんだ。 「今日は漫才をしに集まったわけではないでしょう?」 とシュウ。 「それで?」 まだ腹の虫が収まっていないのかイングラムの表情は険しい。 「私だって好きでこうして集まっているわけではありません。私のマサキに頼まれたからこそ・・・」 「話ではオレでなくライディースが加わるのではなかったのか?」 そう。今回の問題解決に“天才技能”は不可欠と、リュウセイとマサキはそれぞれの旦那に頼み込んでいたのだが・・・。 「宇宙から少々厄介な相手が来ているそうです」 「厄介な相手?」 まさか・・・異星人の襲来!? などでは決してなく、 「コロニーから彼の家族が会いに来たそうです」 「・・・なるほど」 ライの実家は軍人の家系で彼の父親も兄も軍関係の施設に所属している。 そして今回、その二人が公務のついでにこっちにやってきたのだった。 もっとも目的の大部分はサイコドライバーの奥方がどんな人物なのかということらしい。 「それで急遽人数合わせのためにあなたも加わったと」 「人数合わせ・・・まあいい。では早く始めて早く終わらせるとしよう・・・ユーゼス、いつまで寝ているつもりだ」 床で伸びているユーゼスをたたき起こして(酷い...)イングラムはその様子を楽しそうに見ているプチスケンを抱き上げた。 そのまま向かうはゴッツォ邸のダイニング。テーブルの上に積まれているのは参考書の山。 「それでは始めましょうか」 シュウの宣言により始まったこの計画。 今まではマサキとリュウセイがボランティアでしてくれていたプチの素朴(?)な疑問に対する回答。 それがとうとう二人の学力の許容量を突破して、天才技能所持者たち(一部例外あり)に全権が委ねられた。 名づけて、“プチスケン教育計画”。 * * * 「では何から教える?」 テーブルの上の本を適当に手に取ってイングラムがプチに尋ねた。 「数学、化学、物理学・・・」 すでにお子様相手の教育ではない。 「ん〜・・・ぶつりがくぅ」 「では私が」 言ってシュウがプチをイスに座らせた。 さすが両手分くらい博士号を持つ男。 「そうですね。身近なところで・・・核子一個あたりの結合エネルギーは質量数60あたりが最大なのですが」 適当にぺらぺらとページをめくってシュウが説明を始める。 しかしどこが身近なのかはおそらく本人にしかわからない。 「つまりそれより質量の大きい領域では質量数が大きい原子よりも小さい原子のほうがより安定しているといえます」 「は〜い。だからおーきいしつりょうのげんしがふあんてーになると、ちっちゃいあんてーなげんしになるんだよねっ」 「・・・わかるんですか?」 視線だけプチに向けたシュウの表情には驚きの色。 「かくぶんれつ〜♪」 「・・・・・・」 シュウ沈黙。 「・・・では、現在多くのPTの動力として利用されている核融合エンジンですが」 改めて説明を始めたシュウだが、 「かるいげんしがくっついておもいげんしになるの。そのときいーっぱいえねるぎーがでるの。それをりようしてるんだよねっ」 「・・・・・・」 ふとシュウは振り返って外野二人を見た。 「・・・帰っていいですか?」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 無言のまま首を横に振る二人。 「プチ、他の教科はどうだ?」 「んー・・・かがく」 無言のままイングラムがシュウに化学のテキストを渡した。 そして場所はダイニングからユーゼスの書斎に移動。そこにはある程度だが薬品の類があり簡単な実験ならできるのだ。つまり実演と実習ができてしまう。(注:おもいっきり違法です) 「ではプチ。原子と原子が結合して元とは性質の異なる分子などの化合物になることはわかっていますね?」 「は〜いっ」 元気よく挙手するプチも質問したシュウも、ついでにユーゼスとイングラムも白衣を着用している。 ちなみにどれも自前である。 「基本はわかっているようですね」 しかしふむと納得するシュウはプチがトリクロロメタン(クロロホルム)の製造方法をそらで言えることを知らない。 「そうですね。まずは身近な物質から始めましょうか」 言ってぱらぱらとテキストをめくり、ちょうどいいものを発見して解説開始。 「トルエンは・・・」 その名前が出たとき、ふいに外野二人は即座にオチが見えた。 (ユーゼス、やはりアレだろうか) (あぁ。おそらくアレを作るのだろう。・・・ここで) ユーゼスはどこからか“安全第一”と書かれた黄色のメットを取り出してイングラムに渡した。 (こんなところで役に立つとは・・・) (少し離れよう。ところでこの部屋は発生した衝撃に耐えうるのか?) (・・・ブラックホールエンジンの暴走でなければ十分耐える) この書斎、いったい何でできているのだろうか? そんな会話が背後で繰り広げられているとは露知らず、シュウの講義は実演に移行した。 「まずはトルエンについて説明しなければなりませんね」 「ほーこーぞくたんかすいそ(芳香族炭化水素)のいっしゅー」 瞬時に解説の必要なしと悟ったシュウは棚からトルエンの入った小ビンを取り出した。 なぜこんなところに!? などとつっこんではいけない。なぜならここはユーゼスの書斎だから(断言)。 「それではこのビーカーにトルエンを少量入れておきます。次に濃硫酸と濃硝酸の混合物を作ります」 言いながらシュウは手際よく薬品を混ぜていく。氷水で冷やしつつ濃硝酸の入っている試験管に少しずつ濃硫酸が加えられていく。 試験管の中でゆっくりと劇薬が混ざっていく。 「これに先ほどのトルエンを少しずつ入れていきます。このように温水で加熱しながらするといいでしょう。ここで注意することは、トルエンと反応するのは濃硝酸だけで、濃硫酸はただの触媒ということです」 「へぇ・・・」 プチの瞳は好奇心にキラキラ輝き、机の上に身を乗り出してシュウの手元を凝視している。 「こうしてトルエンなどの芳香族炭化水素をニトロ化すると・・・」 しばらく慎重にかき混ぜていると、試験管の中身がほんのり黄色に変わりだした。 液体だったのがやや粘り気を帯び、微かに鼻につく刺激臭。シュウはそれを冷水の中に流し込んだ。何度か振って沈殿した黄色の固体と上の透明な液体に分離したところでシュウは振るのをやめ、静かに上の透明の液体だけを捨てる。 「上に溜まったものはただの水です。下に沈殿したものが化合物です」 薬品さじで表面を削り取ってろ紙の上に乗せる。 「はい、これで完成です。名前はわかりますか?」 「えっと・・・にーよんろく・とりにとろとるえん。ぷち、じつぶつみたのはじめてvv」 「当たりです。・・・そうですか。知識は知っているだけでなく実際に自身の目で確かめることも大切ですよ」 珍しく見守る眼差しのシュウ。少し先生気分に浸っている。 しかし二人の目の前に置かれている化合物、《2,4,6−トリニトロトルエン》は通称TNT。 そう、火薬の一種なのである。・・・しかもかなり強力な。 「ねぇねぇしらかわはかせ〜」 「なんです?」 とプチの方を見たシュウはその手に握られているものを見て思わず青ざめた。 「ぷ、プチスケン・・・それは」 「いいでしょ〜?」 プチの左手にはマッチ箱。 そして右手にはマッチ棒。 「ひ、つけたらどうなるのかみてみた〜い」 「それは・・・」 結果は簡単。 爆発します。 ボンッと盛大に大爆発してくれます。 でもって少量でもかなり威力があるので、今作った分全部に引火した場合少なくともシュウとプチは確実に吹き飛ぶ。 「ねぇねぇ、ちょっとだけ〜」 と言いつつもプチの視線はろ紙の上よりもビーカーの中のほうに注がれている。 「駄目です」 シュウ即答。 プチのちょっとが本当にちょっとである保証はない。 「けちぃ・・・」 そういう問題でもない。 ふと思い出してシュウが振り返った。 「・・・何をしているんです?」 「気にするな」 そう答えたユーゼスとイングラムはメットを装着しつつ扉−−−見た目は普通だが、実は特注の特殊合金製−−−の陰にいた。 「自分の身は自分で守るのが常識だろう?」 「親というものは自分の命をかけてでも子供を守るものではないのですか?」 というか、危ないと思ったら止めなさいとシュウの視線が訴えている。 「そう簡単に死ぬようなヤワなお子様に育てた覚えはない」 とユーゼス。 プチの存在自体に疑問を抱くような爆弾発言である。 「ついでにお前(たち)が葬れれば願ったり叶ったりだ」 とイングラム。 さりげにとんでもないことを言っているような・・・。 と、プチがてとてとと少々危なっかしい足取りで二人のほうに駆け寄ってきた。 「ねぇねぇ、ゆーぜすぅ、まま。じょーずにできたよvv」 手にはもちろんTNT・・・とマッチ。 「−−−っ!!?」 「プチ、それを持ったままこっちへくるなっ!!」 慌てるユーゼスとイングラム。書斎は特注の構造になっているが、それ以外は一般家屋と変わらない。 廊下でそれが爆発した日には・・・。 「外に出るんじゃない!」 とっさにユーゼスを引きずってイングラムが室内に入り後ろ手に扉を閉めた。 「プチ、早まってはいけませんよ」 シュウも珍しく青ざめている。 まさに内に爆弾を抱えてしまったゴッツォさんち(一名とばっちり含む)。 緊張が限界まで張り詰めた空間でプチだけがとことん無邪気。 「え〜。だめなの?」 「駄目だっ、おとなしくそれをこっちに渡せ」 安全第一のメットを被ったままのユーゼスがおそるおそるビーカーに手を伸ばす。 なのにプチは、 「やだっ。どうなるのかぷちしりたいの!」 ぎゅっとビーカーを抱きしめる。もちろんマッチごと。同時に三人の肩が微かに跳ね上がった。 しかしここで“爆発する”と教えてはいけない。 知識として知ってはいるかもしれないが、まだまだ確信には変わっていない。ここで安易に答えたが最後、そのまま実行に移すのは目に見えている。 「きょ、今日の勉強はここまでにしましょう。続きはまた今度と言うことで」 というシュウの申し出も、 「じゃ、これでおしまいね」 「あ、いえ・・・それは」 さらに事態を悪化させる結果に終わった。 今にも点火したマッチ棒をビーカーの中に放り込みそうなプチに三人は背に冷や汗だらだら。すでに一年近く寿命は縮まっていることだろう。 その命はすでに風前の灯。全てはプチの手に委ねられていると言っても過言ではない。 やることなすこと人間の範疇を超えているとはいえ、三人とも一応生身の人間なのだから。 そしてとうとう、イングラムが最後の手段に出た。 「プチ、こっちへおいで」 ぎこちなく無理やり貼り付けた笑みを浮かべながら震える手を差し出す。 声もかなり震えていたが大好きなママの腕はかなり魅力的だったらしく、 「まま〜vv」 プチは素直にてとてと駆け寄った。 で、 「うわぁ」 思いっきりつんのめり、 ぽお〜んっ 『っ!!?』 プチの手を離れてビーカーが放物線を描いて宙を舞う。 「っと」 それをシュウの手が何とか捕らえて一同安堵のため息。 そしてプチはイングラムの腕の中ですりすりご機嫌。 「・・・・・・」 羨ましそうにその様子を見るユーゼスに、 「緊急時だ」 と言ってイングラムは額にうっすらかいていた汗を片手で拭った。 「これで世界は救われたな」 本当に世界が救われたかはさておき、少なくとも四人の生命はこうして救われた。 かに見えた。 「それでは片付けるとしましょうか」 ひと心地ついたところで三人は場の片付けに入った。 プチは混ぜると危険−−−洗剤の注意書き調で−−−なので、ユーゼスのイスに置いてある。 「ふぅ、化学はもうやめにしましょう」 試験管を洗いながらシュウが言った。 「その前に“身近な物質”とトルエンを取り出すお前のその考えを改めろ」 薬品を棚に戻しながらイングラム。 「失礼な。あなた方こそ自分第一のその考えを少しは改めたらどうです?」 自分のことは棚に上げてそういうことを言うシュウ。 「・・・・・・」 その中ユーゼスは一人無言で作業を続ける。 だからそれがそーっと動き出していたことに気づいた者はいなかった。 マッチはあいにくと見つからず、仕方ないので棚をよじ登って目当てのビンをゲット。 「ふふふっvv」 父親似の微笑を浮かべて目指すは例のビーカー。 しかしあと一歩のところでイングラムに発見されてしまった。 「プチっ!!」 「え〜いっ、にゅうこんいっとー☆」 用意周到にピンセットで中の物質をビーカーの中に投げ入れる。 からんっといい音を立ててそれはTNTに触れ。 「っ!」 触れただけで何も起こらなかった。 ふぅと肩の力を抜いたイングラムだったが投げ入れらたものの正体に一気に顔を引きつらせた。 「早くそれを出せ!! それはっ」 しゅごっ 不吉な音を上げた白っぽいそれ。 「・・・」 イングラムが例の黄色のメットに手を伸ばし、 「・・・」 シュウが手にしていた試験管を取り落とし、 「・・・」 何故かすでにメットを被っていたユーゼス。 「・・・」 そしてわくわくと瞳を輝かせるプチ。 どごおぉぉ〜〜んっ その日ゴッツォ邸で大規模な爆発音が轟いた後、ひびの入った窓ガラスから黒い煙が漏れていたという。 ちなみに周囲に被害が及ぶことは全くなかった。 しかし帰り際のシュウの頬に落ち損ねた黒っぽいすすらしきものが付いていて、加えて腕やら手やらあちこちに包帯が巻いてあって同居人を大いに慌てさせたとか。 どちらにしろ、その後プチの化学講義が禁止されたのは確かだ。 Fin. 言い訳じみた独り言 678Hit、疾風瀬菜さまのリクエストでユーゼス所長・イングラム少佐・シラカワ博士のプチスケン教育現場最前線でした〜。 今回かなり力作です。そしてさりげにプチスケン革命のリベンジ。どうしても思い出せなかった(というか資料が見つからなかった)トリニトロトルエン。TNTのネタを入れられたのです!! しかもオチに。 探したところ化学TBの教科書に化学式が載ってました。ただ作り方はニトロベンゼンの参照なんで微妙に違うかも・・・。あと物理の原子云々の話は物理Uの教科書参照です。 理科系は毎回瞳を輝かせて授業聞いてました。光子力なんか余談までメモが残ってます(爆) そんなわけで私理科系教科は好きです。点数は別として・・・。 余談ですが最後にプチが投げ入れてたのは黄燐です。毒性があり、空気中で自然発火するので普段は水中に保存されます。 実はプチに“赤ちゃんてどうやってできるの?”なんて聞かれて慌てる三人の話も考えてたんですが、ね。 |