その日の夕暮れ時。二人は揃って帰宅して家にいた。
 二人ともそれぞれ実験が上手くいったため上機嫌で、特にプチは始終ニコニコしていた。

 ユーゼスお手製の最近バリエーションの増えた夕食の後、プチが何やら小瓶に入った液体をかな〜り不味そうに飲んでいた。
 気になってユーゼスが問う。
「プチ、何を飲んでいる?」
(栄養ドリンクの類を飲むような年でもないしな)
 …そんなものを飲むお子様はかなり恐い。
「んくっんくっ…ぷはぁ。これでよしっ」
(これでよし?)
「じゃ、ゆーぜす。おやすみvv」
 ぎゅ〜っと抱き着いてほっぺにちゅっvvとおやすみなさいのキスをして。
 プチはユーゼスの問いには答えずさっさとリビングを出ていってしまった。しかも小瓶と共に。
「…なんだったんだ?」
 結局謎は謎のまま夜は更けていく。

「…こんな時間か」
 時計はそろそろ日付変更を告げようとしていた。
「寝るか」
 戸締まりを確認してユーゼスも寝室へ向かう。
 ベッドの上には予想通りプチがいてスヤスヤと眠りの中にいた。
 一応プチにも部屋が与えられていてプチ用のベッドも置いてあるのだが、大抵はプチが自分用の動物枕(ウサギ型)を抱えてユーゼスのベッドに潜り込んでいる。
 蹴り飛ばされている掛け布団をかけ直して、
「おやすみ」
 ユーゼスはプチを起こさないようにそっとその傍らに体を滑り込ませた。
 枕に頭を預けると急速に睡魔が襲ってきた。
 意識が…夢の中へと落ちて、いく。


 ここは夢の中。
 はっきりとした根拠はないが、なんとなくそう思う。
「ユーゼス」
 誰かが自分を呼ぶ。
 聞いたことのある声。
 懐かしい声。
「…ユーゼス」
 振り返ると彼がいた。
 深青色をまとう愛しい…人。
「イング…ラ、ム」
 彼が今自分の目の前にいる。
 立っている。
 そこに存在している。
「帰ったのか」
 仕事を終えて、自分のもとに。
 腕を伸ばして引き寄せると抵抗もせずに自分の胸に収まる。
(やはり…夢か?)
 軽くウェーブのかかった髪に指を這わせると、彼は瞳を細めて小さく息を吐く。
(夢だな…いや、夢でもかまわない)
 一時の目覚めしまえば終わる夢でもかまわない。
 ここにいて、この腕の中にいてくれるだけで―――それ以上は…多くは望まない。
 ただ…願わくばもう少しだけ、夢よ覚めないでほしい。
「ユーゼス…」
 名を呼ばれはっと我に返る。見るとイングラムはかすかに微笑んで首に腕を回してきた。
 普段の彼らしからぬ大胆な行動に戸惑いつつも、これは夢だとわかっているから腰に腕を回してそれに応える。
「…ぅ、ふっ」
 唇を合わせると、これまた積極的に応え求めてきた。
 もしや自分は夢に見るほど欲求不満…なのだろうか?
 そう思い始めた頃、ユーゼスは奇妙なことに気がついた。
 腕の中のイングラムの体が記憶に残るそれよりも小さく感じるのだ。
 腕も肩も身長も…そういえば顔つきも少し幼い気がする。
「イングラム?」
 いぶかしげに名を呼ぶと、
「なあに? ユーゼス」
 とイングラムが首をかしげた。
 彼を腕に抱いたままユーゼスがぴしっと固まる。
(なっ…なななぁ!?)
 すりすりとじゃれ付いてくるイングラムの姿はどう見てもプチスケンそのもの。
(ゆ、夢だ…これは夢だ!)
 心の中で必死に繰り返すとふわっと意識が覚醒していく感覚。
 しかしほっとしたのもつかの間。
 腕の中にはまだ誰かがいる気配。
 恐る恐る目を開けると見慣れたベッドに掛け布団。そして深青色の塊が腕の中にいる。
 プチだ。
「…ふぅ」
 今度こそほっと安堵のため息。相当うなされていたのかずり落ちかけている掛け布団を引っ張りあげようとゆっくり体を起こしたとき、ユーゼスは妙な違和感を感じた。
 ユーゼスのパジャマにしがみついて眠っているプチが心なしか大きい気がする。肩も腕も身長も…そういえば顔つきも少々大人っぽいような。
 と、プチが小さく息を吐いて目を開けた。
「んっ…ユーゼス?」
「っ…」
 息を呑む。声が…明らかに変わっていた。
「ぷっ…ぷ、プチっ」
「なあに? ユーゼス」
 首をかしげるプチ(中)。確かに大きくなっていた。
 なんかデジャ・ヴ。
「プチ…その姿は?」
 なんとか発せられて出た言葉がそれだった。
「え?」
 ここでようやく自分の変化にプチは気がついたらしい。きょろきょろと自分の体を眺め、
「薬、効いてきたんだぁ」
 とにっこり微笑む。
「く、薬!?」
 ユーゼスの脳裏に浮かんだのは夕食後にプチ(小)が飲んでいたあれ。
(もしや…)
「ん〜〜。四時間かぁ。もっと時間短縮できるといいけど…」
 時計片手に考えるプチ(中)。ベッドにちょこんと座っている姿は元の姿を彷彿とさせるが、ふたまわり以上大きくなっているその体ではどこか違和感があって。
「でもやったね☆ これでプチも大人だよ♪」
 と言われても、見た目も声もイングラムそっくりで先ほど見た夢も手伝ったのか、ユーゼスの中に何とも言えない感情が湧いてきた。
「プチ、なんだな?」
「そうだよ。僕はプチスケンのプチ!」
 今までそうしてきたように髪をなでてやると、“くすぐった〜い”と体を震わせてプチ(中)は笑う。
(か、可愛い…)
 思わず頬に伸びた手を、しかしユーゼスは必死の理性で引っ込めた。
(いや、これはプチだ…イングラムではない)
 いくら見た目が大人(?)でも、中身はお子様なプチに手を出すわけにはいくまい。
 一応自分の息子だし、それにユーゼスにイングラム以外の男―――女もそうだが―――に手を出す気はない。
 …ちょっと心引かれるものはあるが(笑)。
「ユ・ウ・ゼ・スvv」
 そんな内心の葛藤を知ってか知らずか、プチ(中)はいたずらっぽい笑みを浮かべて傍らのナイトテーブルの上の指差した。
「?」
 つられて向けた視界に入ったのはあの小瓶。しかも、一本ではなく二本だ。
「まさか…」
「一本で約十歳、二本で約二十歳♪」
 言ってがばっと抱きついてきた。
「なっ!!?」
 瞬間的に腕にかかる重量が増す。
「どう? ユーゼス」
 ほぼイングラムと同じ年頃になったプチ(大)はそう言ってにっこり笑った。


 腕の中のプチ(大)はニコニコしたままユーゼスのリアクションを待っている。
 一方ユーゼスは目の前の事態にただ呆然とするのみ。
「ね、プチ大人になったよ?」
「あ…あぁ」
「どう? ママに似てる?」
 似てるどころの話ではない。
 表情を殺して口調を真似れば彼をよく知るものでもおそらく本人とは区別がつかない。
 口調やしぐさはプチだが、見た目と声は完全にイングラムと同じなのだ。
 細く形の良い指がユーゼスの頬に伸びる。
 ふっと顔が近づいて。
 唇に温かい感触。
「っ!?」
 どこで覚えたのか妙に艶めかしいしぐさで擦り寄ってくるプチ(大)は妖艶にクスクス笑う。
「ずっと、こうしたかった」
 もしや自分は夢魔の見せる甘い夢の中にいるのではないかと思わずに入られない。
 だが、圧し掛かって来るプチの重さは確かにそれが現実であると告げている。
「ユーゼス、僕のことただの子供としか見てくれないし」
 拗ねた口調で言って、だから大人になりたかったと続けた。
「でもユーゼスが愛してるのはイングラムママ。僕はどうせ二人の子供。でもさ、ほら! 僕は大きくなったんだ。もう子供じゃないよ」
 さらに圧し掛かって距離を縮めてくる。
「僕じゃ駄目? こんなにそっくりだよ?」
 押し倒されて掴まれた腕にかかるプチ(大)の重さにユーゼスは呻いた。
「くっ…離せ」
「嫌だよ。自力で退ければいいでしょ? 僕は“プチ”なんだから」
「退けろ」
「嫌だ」
 言って更に距離を縮める。
 唇が触れるギリギリ手前。互いの息が交じり合う。
「プチスケン!」
「っ!?」
 愛称でなく名前で呼ばれ、プチ(大)はびくりと体を震わせた。その隙を逃さずユーゼスはありったけの力を込めてプチを引き剥がした。
「離せ…そして退け」
 プチと一緒にいるときは滅多に見せない威圧的な命令口調にプチは怯えを見せた。
「…はい」
 大人しく指示に従う。
「わかっているはずだ。お前はプチスケンであってイングラムではない」
「でも、僕は…」
 必死にすがり付くプチにユーゼスは容赦なく言い放った。
「私はお前をイングラムのコピーとして生み出した覚えはない。お前はプチスケン=ゴッツォという一つの個体だ。どんな生まれ方をしたにせよ、私と奴の子であることは揺るぎない事実だ」
 どう大きくなったとしても子供以上には見れない。と暗にユーゼスは言う。
 お前は自分の子供なのだから、と。
 すがり付く腕を離してぺたんと座り込むプチ(大)。
 ユーゼスはしばらく黙っていたが、場所を移動して呆然としている我が子のわきに座り、その体ををそっと抱き寄せた。
 体を震わせて声を殺して涙を流すプチ(大)に言い聞かせるように語る。
「焦ることはない。いつかわかるようになる。大人になるとはどういう事なのか。誰かをなにものにも代え難く“愛しい”と想うことも…」
「でもっ…ぼ、くはユーゼスの…ことっ」
 声を詰まらせながらプチは言う。
「こんなに…想って、るの…に」
「焦るな。目の前に在るものが全てではない。時が来れば、きっとお前にも…」
 腕の中の我が子が泣き疲れて眠ってしまうまで、ずっとユーゼスはその背を優しく撫で続けた。
(奴もこのくらい素直ならばいいのだがな)
 なんてことを考えつつも、夜明け前の薄く日が射し始めた寝室でいつしか彼も眠りに身を委ねていったのだった。


* * *


 その日、所長室に珍しい客がやって来た。
「お邪魔しますよ、ユーゼス所長殿」
 入っていきなり皮肉のめ一杯こもった台詞を吐いたこの男は、鋭い眼差しをユーゼスに向けた。
 普通の人間がまともに受けたら即死しかねないほど殺気のこもったそれをさらりと受け流しユーゼスは問う。
「何の用だ?」
「お宅の小さいのですが…」
 男は言う。
 “小さい”のとはおそらくプチのことだろう。
 あれから丸一昼夜眠り続けたプチは、目覚めると元のお子様サイズに戻っていた。
 実験室のハツカネズミも一晩経つと元に戻っていて、どうやら薬は未完成だったらしい。
「全く、どういう教育をしているんですか?」
「何のことだ?」
 ふうと男は大袈裟にため息をついて肩をすくめた。
「そのうえ監督不行き届きとは…」
「何が言いたい」
 シュウ=シラカワ、とユーゼスは視線を鋭くする。
 別の研究室を任されて以来、こちらに全く顔を出さなくなった元研究員は相手を小馬鹿にするような表情で言った。
「うちのマサキに“おっきくなったらおよめさんにもらってあげるvv”などと…全く、親の顔が見てみたいですね」
 どうやらそれが不機嫌の原因でありここを訪れた理由でもあるらしい。
「親の顔なら気が済むまで好きなだけ見ていけばいい。ただし研究の邪魔はするな」
「ほお…そう言いますか」
「そもそも子供の戯れ言ごときに一々目くじら立てるほど、お前のところは余裕がないのか?」
 小さく笑ってユーゼスが返すと、シュウはこめかみを引きつらせて過敏に反応した。
「ふっ…貴方ほどではありませんよ」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ…クククッ」
「フフフッ」
 所長室内が一般人には到底近寄れない空間と化す。
 バチバチと見えない火花が二人の間で激しく散った。
「まぁいいでしょう。とにかく今後はそういうことがない様にしてください。それだけです」
 言うだけ言ってシュウはさっさと出ていってしまった。
 遠ざかる足音を聞きながらユーゼスは呟いた。
「どうやら吹っ切れたようだな」
 そう焦る事などないのだ。
 ユーゼス自身、まさかこんな日が来るなど思ってもいなかった。
 出会う偶然は気まぐれで突然なのだから。
「たった一人の“愛しい人”か…」
 なのに早くプチが“大切な人”を見つけて自分に紹介する日など来なくていいと、一人娘を嫁に出す父親のような心境になってしまうユーゼスパパさんであった。
「子育ても案外難しいものだ…なあ?」
 そして実は最愛の奥方にベタ惚れなこの男は、日に何度か机の引き出しに忍ばせているこの世にたった一枚しかない奥方とのツーショット写真を見てはそっとため息をつく日々を送っているのである。
 どうやら偶然はこの男すら変えてしまうものらしい。


あのね! ぷちおねがいごとがあるんだ。

きいて! ぷち、おとなになりたいんだ。

それでね、ゆーぜす。

おとなになったら……。

ゆーぜすのやくにたてるかな?

こどもあつかいしないで、いちにんまえにみてくれるかな?


 それから数ヶ月後、プチは見事に“大切な人”と巡り合うことになるのだが…。

 それはまたの機会にでも語ることにしよう。



Fin.




言い訳じみた独り言
 砂都さんの100Hitリクって“プチスケン×ユーゼスパパ”だったんですが…見えます?
 ……やっぱり誘い受け(核爆)のユープチかも。

 ちなみに話の中に出てきたトリクロロメタンの製造方法は、メタンと塩素の混合気体に光を当てて塩素のClとメタンのHを置換するって方法です。
  一個入れ替わったのがクロロメタン(塩化メチル)で二個入れ替わったのがジクロロメタン(塩化メチレン)で三個入れ替わったのがトリクロロメタン…つまりクロロホルムなのです。(置換されたHは残りのClとくっついて塩化水素になって気化します)

 高校時代に化学の授業で習った記憶を頼りに書いてたんですが、結局実家に電話して受験生の弟に確かめてたという。
 TNTの方はノートの中から発見できず泣く泣く断念(T.T)
 しかし、こんなところで授業の内容が役に立つとは……。