青灰色の想い 家には誰もいなかった。 静まり返る室内で、イングラムは一人室内を見渡す。 (静か…だな) 思っていたよりも部屋が広く感じる。 そして、少し寒いと思った。 今は秋だから外を吹く風も寒さを増している。だから当たり前…なのに。 (寒い…な) かたわらに誰もいない。今まで−−−ユーゼスと暮らす前まで−−−はずっとそうだったはずなのに、何かが欠けているような喪失感が胸を占める。 自分から出ていったのに。 今ここにいるのも単なる気まぐれで。 きっと研究所に出かけているだけ。 わかっている。 なのに……。 無意識にイングラムは自身の胸を押さえた。 何かが足りない。 その不快感に眉をしかめる。 「なんなんだ…これは」 それは今まで全く知らなかった感覚。 (“寂しい”…のか? このオレが) 何となく様子を見るだけと自分に言い訳してここまで来て。本当に会いたかったのは…寂しかったのは自分の方だったのかもしれない。 「どちらにしろ、ここに二人はいない」 そう言った自分の声がやけに空しく聞こえた。 「…帰るか」 実際直に会う気はなかった。二人がとりあえず生きていることを確認できればよかったのだ。 外に出るとやはり風が冷たかった。 合鍵を使い玄関を閉め帰ろうときびすを返したとき、遠くに見慣れた姿を見つけて足を止めた。 相手も彼に気づいたらしく荷物を持ち直して小走りに駆け寄ってきた。 「教官!」 かつて自分の部下だった男の姿にイングラムは微かに表情を和ませた。 「久しぶりだな、リュウセイ」 「極東の方に異動になってライに聞いたけど帰ってきたんだ?」 相変わらずの笑顔でリュウセイは言った。 「いや、近くまで来たからついでだ。お前は退役したそうだな」 その話を聞いたのは極東の地でのこと。 もともと病の母親の入院代云々のために軍にいたリュウセイ。母親の退院を期にやめるだろうと思っていたが彼はずっと軍にいた。 「ああ、でもライはまだ現役でやってるよ」 とやはり笑顔で言う。退役しても相変わらず付き合いがあるらしい。 「近くなのか?」 聞いたのは場所についてだ。 「え? あ、隣だよ」 あっけらかんとリュウセイは言った。 「隣…?」 そこだよと指差した家はユーゼスの家の本当にお隣。 「あ、プチに会いに来たんだろ? 今おれんちにいるんだ」 ユーゼスの帰宅が遅れるときは代わりに面倒を見ているとリュウセイは言って、 「教官もどうぞ。お茶くらいしか出せねぇけど」 「いや…オレは」 別に会いに来たわけではないと言う前に、家の方から可愛らしい歓声が上がった。 「あ〜、まま!!」 声の主はてとてとと走ってきて嬉しそうにイングラムの足に飛びついた。 「おかえり〜vv」 「プチよかったな」 「うんっ」 そんなわけで足に引っ付くプチをひきずりながらイングラムはリュウセイの家にお邪魔することとなった。 「あっちは変わんねぇの?」 甘い香りのアップルティを入れながらリュウセイが聞いた。 「教官の新しい部下の中にもサイコドライバーとかいる?」 と当のサイコドライバー本人はのんびり言う。 ここでのほほんと紅茶を入れるこの男が、まさか過去の戦役において鬼神の如く戦ったなどと誰が信じられるだろうか。 そう言うとおそらくリュウセイもこう言い返すだろう。 『教官こそ、こんな可愛い子持ちなんて信じられないって』 と。 「そうそう簡単に出会えたら大変だ」 苦笑しつつ出されたそれに口を付ける。少々甘すぎる気もしたがおかげで冷え切った体が少し温まった。 その膝の上でプチがはふはふ言いながら砂糖たっぷりのホットミルクを飲んでいる。 「センスの良いのも悪いのもいろいろだ。まあ、やりがいはある」 「うわ〜…その部下たち運がねぇ」 彼の厳しさを身を持って知っているリュウセイだけにその呟きには同情の色が濃い。 「ほう…」 聞きつけたイングラムが意味ありげな視線をリュウセイに向ける。 「その訓練中によそ見をして実戦なら片手ほど死んでいるはずなのはどこの少尉だったかな?」 「う゛っ…」 その度に同僚に散々言われて、訓練中であることを忘れ言い合ったことも度々あった。 「ところで、ライディースはその後どうした? お前たちなら退役するのなら一緒だと思っていたが」 「ライは…」 言ってリュウセイは頬を赤くした。 「教官、家の表札見なかったんだ」 「表札?」 そう言えば、門のところにあったような気はする。気にしていなかったから何と書いてあったのかはわからないが。 「“ダテ”ではないのか?」 「…っと」 更に頬を赤くするリュウセイに代わってプチが元気よく言った。 「りゅーは“だて”さんじゃないよ」 「?」 「りゅーのせいは“ぶらんしゅたいん”だよ」 一瞬、何を言われたのかわからなかった。 “ブランシュタイン”とは、確かライディースの姓だったはず。 では…もしや。 「リュウセイ、お前…」 「あはは…あはははは」 ぽりぽりと頭を掻きつつ笑うリュウセイ。 「ライが“俺が養ってやる”って…」 自分がいない間になにやら色々あったようだ。 「そうか…」 それだけ言って黙ってしまったイングラムに恐る恐るリュウセイは聞く。 「やっぱ、驚いたりした?」 「いや…」 イングラムとしては逆に“やはりそうなったか”と納得してしまった自分が何だか悲しかった。 「おれとしては教官が誰かとくっついたって方が驚きだけど」 とリュウセイ。 「やっぱ…その、奥さんとしてってとこが」 「オレもそう思う」 そして二人でため息。 「そ、そうだ! 教官、基地の近くの喫茶店って覚えてる?」 「教官はないだろ。退役したんだろう? お前は」 苦笑しつつそう言うと、 「しょーがねぇよ。癖ってのはなかなか抜けないもんなんだって」 リュウセイも苦笑し返した。 「それでその喫茶店、実はこの近くに引っ越してきたんだ」 「ほお…」 それは初耳だった。 二人がまだそこに所属していたときに利用していたその喫茶店は、二人にとってそれぞれ思い出深いものである。リュウセイはよくライのおごりで甘いものを食べに行っていたし、イングラムはユーゼスとの待ち合わせに使っていた。 さりげにユーゼスの研究所とイングラムのいた基地の中間あたりに位置していた。 「それでマスターには?」 「もちろん会ってきたぜ。相変わらずってとこかな? 教官にも会いてぇって言ってた」 「そうか…」 帰る前に一度寄ってみるかと思っているとポンっとリュウセイが手を打った。 「そうだ! 教官、今日はプチとあそこに食べに行けば?」 「きょーはがいしょく?」 ずっと黙って話を聞いていたプチがそう言って首を傾げた。 「おれんとこは別にいいよ。今日はライが早いからどっかに食べに行こうって言ってたし。…っつうか、よければおれらが帰ってくるまでお願いできると嬉しいんだけど」 「行くか?」 イングラムがプチに聞くと、 「うんっ、行く!」 元気よく手を上げて賛成したので。 「たまにはいいだろう」 イングラムはプチを抱っこして例の喫茶店に向かったのだった。 駅の近くのこじんまりとした喫茶店。 店の雰囲気も相変わらずで、またマスターも相変わらずだった。 「いらっしゃい」 プチを連れたイングラムが入ってきても別段驚くこともなくそう言って、 「コーヒーでいいかな?」 聞いてきた。 窓際の席に着くとその隣にプチが座る。 少ししてマスターがコーヒーとジュースを持ってきた。 「久しぶり」 そう言って微笑むとなぜかリュウセイを彷彿とさせる。誰にでも馴染める暖かさを持つ人物だとイングラムは思う。 初めて店を訪れたときも今もマスターも店の雰囲気も変わらない。 「あぁ」 「来ないと思ったらこんな可愛い子供連れで」 これはサービスとプチの前にケーキ。 「うわぁいvv」 プチが歓声を上げる。 「すまない」 「いいって。お得意さんだからね」 言ってマスターはイングラムの前に置いた青灰色のコーヒーカップを指した。 「いつものだよ」 「……」 「ごゆっくり」 マスターがカウンターに戻っていってもイングラムはそれに口をつけずじっとそのカップを見つめていた。 「まま、のまないの?」 プチに聞かれてはっと我に返る。 「あ…あぁ」 珍しく慌ててカップを取りぎこちない動作で口に運ぶ。 「っち…」 「???…ん〜、おいしーvv」 プチは首を傾げつつ、出されたケーキに再び夢中。 「ぷちここのけーきだいすきなんだ」 その言葉に今度はイングラムが首をかしげた。 「前に来たことがあるのか?」 「うん。りゅーときたこともあるし、ぱぱときたこともあるよ」 ということはマスターは内情を知っていて……。 この時イングラムが、 (ここのマスター侮りがたし…) と内心思っていた…かどうかは定かではないが、とにかくあの笑みの奥にとんでもないものを隠し持っているのではと思ったのは間違いない。 「ねぇねぇ、ますたーがいってた“いつもの”ってなあに?」 プチが首をかしげながら言った。 「それか…このカップはオレとユーゼスがコーヒーを飲みに来た時によく出されたものだ」 その場の雰囲気が昔と変わらなかったからか。 時折コーヒーを口にしながら、イングラムはプチに昔のことを語り始めた。 * * * 「遅い…」 「そう言うな。これでもかなり急いできたのだから」 待合の時間にユーゼスは大抵遅れてやってきた。 代わりに支払いは自分がすると言ってユーゼスはコーヒーを一杯注文する。 程なくして運ばれてきたコーヒーを一口飲んでから話が始まる。それはいつの間にか暗黙の了解になっていた。 「それで、例の資料は?」 ユーゼスがカップを置くのを見届けてイングラムが話を切り出す。 「これだ。私が言うのもなんだが、なかなかいい結果だよ」 「そうか」 資料の入った封筒を受け取ると、それだけ言ってイングラムはさっさと店を出て行こうとする。 「行くのか?」 「オレの仕事はこれを受け取ることだ」 「この後の予定はないはずだが」 「…なぜそれをお前が知っている」 思えば周囲が忙しくかつちょうど近くまで行くのならついでにと、その研究所に委託していた研究結果のレポートを取ってきてくれと頼まれたのがそもそもの始まりだった。 当時その研究担当だったのが幸か不幸かユーゼスだった。 そして彼は才能と知識は豊富だが他人を見下した感じがとっつきにくいと、彼の元にレポートを取りに行く役にまったく人気がなかったことで有名だった。 だが会ってみるとそうでもなく、人並みに対応して何事もなくイングラムは基地に帰還した。 「少し変わっているが」 と当時イングラムは周囲に答えている。 「別にこれといっておかしな男ではない」 その一言をその後彼は思いっきり後悔することになる。 それから何度かイングラムはその研究所に足を運ぶことになった。 そして上層部があることに気づく。 「イングラム少佐が資料を取りに行く時はほとんどユーゼス研究員が主任を勤めているな」 「それにその時だけ結果が出るまでの時間が恐ろしく短い」 「…これは使える」 こうして本人気づかぬまま軍のほうで急いでいるものの時は暗黙の了解で取りに行くのがイングラムと決まってしまった。 そのおかげで軍のほうは仕事が滞ることなく進んだ。 ただし研究所のほうでは過労で倒れる研究員が続出したとかしなかったとか。 一方イングラムは、毎回担当がユーゼスであることに疑問を抱きつつ別に実害があるわけでもないのであまり気にせずにいた。 そして後悔はその後波の如くやってくることになる。 というのが現在の状況。 いつどこから漏れているのか−−−実は上層部と一部の女性職員の陰謀なのだが−−−イングラムの予定がこの男に筒抜けになっている。 今日もこの後は非番だから近くの植物園に足を運ぼうかと思っていたのだが、 「予定がないのならすぐに帰ることもないだろう」 と引き止められてまだ喫茶店でコーヒーを飲んでいる。 もしや自分は案外“流されるタイプ”というやつなのかもしれない。 そんな風に思うイングラムはまだ、それがユーゼスに対してだけどだと幸か不幸か気づいていない。 「そういえばこの近くの植物園で薔薇が見頃だそうだ」 ふとユーゼスが言った。 「これから見に行かないか?」 自分が流されていると感じるもうひとつの要因に、どういうわけかユーゼスと好みが似通っていることにある。 前に何気なく自分が植物が好きだと言ったとき、 「そうか!」 と思いがけずユーゼスが表情を輝かせた。 例の植物園も何度か二人で足を運んでいる。 双方から近いという理由で待ち合わせがその喫茶店になったのもその頃からだ。 ユーゼスは最初たまには外出するのも悪くないだろうと言っていたが、実は単に話がしたかったからと打ち明けられたのはそれから数回の後のこと。 「研究所ではそうしてなかなか話をすることができないからな」 そういって小さく笑うユーゼスは多分研究所の同僚すら見たことはないだろう。 (そうオレ以外にも愛想良くすればいいものを) などと思いつつ、 「行かないか?」 と誘われれば、 「かまわない」 と応じてしまうに対しても同じことが言えることに内心苦笑するしかない。 「では行こうか」 イングラムには席を立ち支払いに向かうユーゼスの背が心なしか嬉しそうに見えた。 * * * 「ふぅん…」 プチはずっと黙って話を聞いていた。 「思えば二人で初めて行った場所はその植物園だったな」 「じゃあ、そこがはつでーとのばしょなんだ」 「ごほっ…ごほごほっ」 プチの口から出た思わぬ単語に思わずむせた。 「でもゆーぜすのいってたのとなんかちがう…」 「なっ…ユーゼスもこの話をしたのか!?」 「してたよ」 と答えたのはなぜかマスター。 「しかもその席でね」 「……」 返す言葉が見つからない。 「ゆーぜすは“初デートは実験室”っていってた」 そういえばまだイングラムが研究所まで行っていた頃、ついでに見て行けと実験途中のものを見せてもらったことがあった…ような。 「ゆーぜすね、そのかっぷをみながらおはなししてくれたの」 「何の話をだ?」 「だぁめ。ないしょなの。おとこどうしのやくそくってやつぅ☆」 そう言ってプチは話の内容は教えてくれなかった。 「ところでユーゼスはここによく来るのか?」 仕方がないので話をマスターに振ると、 「ええ、何度か。前の店でもそんな感じの窓際の席に座っていただろう? 一人で来るときはいつも二人分のコーヒーを頼んで、反対側にひとつ置いてもうひとつを飲みながらずっとそれを見てたよ」 こんな風にとマスターはイングラムが手にしているのと同じデザインのカップを彼の反対側の席に置いた。 まるで誰かがそこにいるかのように。 ユーゼスはこの席に一人で座り、どんな思いで目の前に置かれたカップを見つめていたのか。 「すまないが」 とイングラムは言った。 「コーヒーをもう一杯、そのカップにたのむ」 目の前のカップを指して。 * * * 店で夕食をとって、その帰り道。 「いっしょにおふろはいろうね」 満腹でいっそうご機嫌にプチが言った。 「いや、今日は寄っただけだ。明日には向こうに戻る」 「じゃあ! きょうはおうちにいてもだいじょーぶでしょ?」 明日帰るんだから。 「いや、実はまだやることがある」 実際はどういう顔をしてユーゼスに会えばいいかわからないから。 でもって帰ったら明日帰るのは絶望的だから。(爆) 「リュウセイの家まで…いや、その必要はないな」 「???」 プチには見えないようだが、家の前で今まさに鍵を開けているのはユーゼスだった。 「家の前まで行こう」 そう言ってイングラムはプチを抱き上げた。 「わぁっ」 突然高くなった視界に小さく声を上げ、プチはぎゅっとイングラムの肩を掴む。 家の前まで来て降ろされてもプチは掴む手を離さない。 「もういいだろう? さ、家に入れ」 「ままもいっしょ!」 「オレはまだ…帰れない」 心の中ではとっくに許しているが絶対に言ってなんかやらない。 今まで散々振り回されてきたのだから少しくらい困らせてもばちは当たらないだろう。 「…わかった」 しぶしぶ手を離すと、 「でも、ちゃんとかえってきてね」 そう言ってぎゅうっと抱きついてきた。 「ああ、約束する」 抱きしめ返し髪を優しく撫で、そして離すとプチはにっこり笑って家に入っていった。 「ただいま〜」 「プチか。夕食はこれから作る」 久しぶりに聞いた懐かしい声。 「ごはんたべてきたよ〜」 「そうか、では風呂を沸かすから準備しろ」 「は〜い」 そんなやり取りを背に聞きながらイングラムはそっとその場を去った。 「ところで、誰とどこで食べてきた?」 「ないしょ〜。おとこどうしのやくそくってやつぅ☆」 そう言ってプチは部屋に走って行った。 Fin. 言い訳じみた独り言 アキトさまの444Hitリクでイングラム&プチのお話でした。…こんなんでよかったのですかねぇ? あ、途中やたらどこぞのパパさんがでしゃばってましたが気にしないでください(爆) 話の中に出てきた青灰色のコーヒーカップは私が行きつけの喫茶店で一目ぼれした愛しのお方(?)が元イメージです。 文中と同じく二つセットだったんですが、最近ひとつ割れてしまったそうで……うぅ、ちょっと悲しい。 大切な人とそのカップでコーヒーを飲むのが密かな野望だったのに…。 確かに“カップが無くなるのが先か大切な人ができるのが先か”とか思ってましたけど(そのとき既に半ば諦めモード) それとユーゼスさんの語ってた方の話はご想像にお任せします。 きっとノロケたっぷりに熱弁を振るってくれたでしょうねぇ。 |