うつしみ



 鏡の前に立つオレ。
 鏡の中で笑うオレ。

ガラス一枚を隔てて重なる互いの手。
境界面が今、静かにぼやけていく。
 影が沈み込む。
 互いの姿が入れ替わる。


* * *


 誰かが自分の中にいる。

 取って代わられる。

 自分が自分でなくなる瞬間。

「教官?」
 呼ばれて彼ははっと我に返った。
「大丈夫? 何か顔色悪いぜ?」
「そうか? それよりリュウセイ。お前は他人の心配をする前に自分の機体の整備を終わらせたんだろうな?」
 言うとリュウセイはあはははと乾いた笑いを返してきた。
 ふぅとため息をつくイングラム。
「早くやってこい」
「は〜い」
 彼が部屋を出て行って足音が完全に聞こえなくなったのを確認してから、彼の上官は再び深くため息をついた。

 時々おかしいと感じることがある。

 自分がこの場所にいることに対して。

 そしてそう思う自分に対して。

 誰かが耳元で囁く。
《どうしてユーゼスの意思に逆らう?》
(奴を止めることがオレの役目だからだ)
 そいつは声高に笑う。
《どんなに抗っても結局は屈するのに。無駄な努力だな》
(どんな行動も無駄にはならない。何かしら周囲に影響を残す。ほんの少しでも変えてしまえば、そこから全ては崩壊を始める)
 自分がそのきっかけを生み出す最初の楔となる。
 同じところをぐるぐる回る運命の輪の中で、その堂々巡りを抜け出る道しるべになる。
(あいつらはきっと新たな可能性を見つけ出す)
 その手助けになれればそれでいい。
“共にいきたい”などと贅沢は言わないから。


「本日の訓練は以上だ。各自機体チェックの後十分な休養をとるように・・・それとリュウセイ、お前は少し残れ」
 何かしでかしたのかびくびくしている彼は上目遣いに自分の上司の表情を伺っている。
「あの・・・おれまた何かやっちゃいました?」
「いや、お前のシステムとのコンタクトがよくなってきたからそろそろリンクレベルを上げようと思うが・・・できるか?」
 もしできないと言っても聞くつもりは毛頭ないがそれでも聞く。
 リュウセイは表情を明るくして、
「できます!」
 さらにお願いしますと深く一礼までした。
 こうやって期待していると暗に言ってやることが今のところ彼にとって一番の推進剤。彼の自分を見る眼差しの中に羨望や絶対的な信頼が含まれていることはわかっている。
 そして時として父親に対するような感情が浮かぶことも。
 リュウセイが父親を亡くしていることは彼の資料を読んで知った。だからどうというわけでもないが、ふと気づくと父親とその息子のような接し方になっているときがあった。システムとの過剰リンクで精神が不安定になり、やたら不安がるときに落ち着くまでそばにいて話を聞いたときもあった。
 類稀なる素質があるといっても、所詮は高校を出たばかりのごく普通の青年なのだとそういうときしみじみ思う。
 もちろん訓練の場では上司と部下という関係を崩しはしない。
「リュウセイ」
「はいっ!」
 名を呼ぶと何をしていてもすぐにとんで来る。
 何があろうとも絶対にイングラムは自分を裏切らないといういっそ盲目的な確信。
 そして逆に何があろうとも絶対に自分はイングラムを裏切らないという絶対的な信頼。
 その根拠がどこにあるのかは知らないが、どこまでも真っ直ぐな彼らしいと思う。
 もしかしたら、それが今の自分の自我を繋いでいるのかもしれない。
 だからこそ彼らのために自分ができること全てをしたい。
 裏切りたくはない・・・のに。


* * *


 緩やかにしかし確実に。それはじわじわと自分を侵食している。
 最近よくする耳鳴り。
 耳元で囁くもう一人のオレ。
《もうすぐ時は満ちる。そのときオレは・・・》
 その時が来るのを歓喜と共に待つ自分がいる。
 その時が来るのを恐怖と共に過ごす自分がいる。
《もう十分好きにしただろう? いい加減主導権を渡せ》
 背後から抱きつくように腕を絡ませて囁くオレ。
《オレたちは所詮ユーゼスの操り人形》
 奴の手を離れて自由を得ることなど決してできない。
《いつでもオレたちは奴の手の中で滑稽に踊るだけ》
 そんなことはないと自分に言い聞かせるのすら最近は苦痛になってきた。

 自分の中に生じた相反するもの。
 どちらが本当のオレ?
 どちらが正しいオレ?

 オレはイングラム=プリスケンだと叫ぶ自分。
 オレは所詮奴の操り人形に過ぎないと笑う自分。
 日ごとに境界面があやふやになる。どこまでが自分だか・・・わからなくなる。
 触れるところから入り込んでくる。
 侵食される。
 耳鳴りがする。気分が・・・悪い。
 胸に湧き上がる吐き気と嫌悪感。
 気がつかないうちに見えない糸に絡め取られて、気がついたときにはもう遅い。
 動けない。逃げられない。


「イングラム・・・教官?」
 彼の声ももう届かない。
 遠すぎて聞こえない。


 いつの間にか耳鳴りは止んでいた。そして今考えて話して行動しているのが果たして自分なのか、それとも誰かの意思なのかわからなくなった。
 ここにいるのはオレなのか。
 それとも他の誰かなのか。
 だがもう迷いはない。
 迷う、必要もない。
 答えは最初から決まっていたのだから。


「これからSRXの合体訓練を行う」
 時は・・・満ちた。


 格納庫にむかう前、イングラムはふと自室に立ち寄った。
 生活の匂いの全く感じられない部屋の中に唯一彼が持ち込んでいたもの。
 上半身が映るほどの大きさの・・・鏡。
 その表面に指先を這わせて彼は薄く笑う。
「所詮は抗うだけ無駄なこと・・・くくくっ」
 そして鏡に背を向け部屋を出る。
 戸をくぐるとき不意にイングラムは立ち止まり振り返った。鏡の向こうでも同じように彼が振り返りこちらを見ている。
 つーっと手を伸ばす。
 鏡の彼も手を伸ばす。
 ただ手を伸ばしているだけなはずなのに、鏡の彼は必死に手を伸ばしているように見えるのは気のせいだろうか。
 イングラムの口元に冷笑が浮かぶ。
「返す気はない。オレはオレだ」
 それだけ言ってきびすを返す。もう背後は振り返らない。

 シュンと音を立てて閉まった戸の向こうで、

ピシッ

 あっという間に鏡の表面を無数のひびが覆い。


 粉々に砕けた。


* * *


 鏡の前で笑うオレ。
 鏡の中で立ち尽くすオレ。

ガラス一枚を隔てて重なる互いの手。
境界面から静かに手が離れる。

 離れた手が再び重なることはない。
 天使は地上に堕とされ、純白の翼は漆黒に染まった。



「せめてもの情けだ。苦しまぬよう・・・殺してやる」

Fin.


 言い訳じみた独り言

  1111Hit朝甫さまのリクエストでSRWα版イングラム少佐のシリアスSSでした。
  えっと・・・石投げるのは勘弁してください〜(汗々)
 なんなんでしょ? この暗さは。シリアス・・・って言っていいんでしょうか?
  少佐でシリアスっていってまず隠された殺意とイングラムの真意のシナリオを思い出したので、裏切ることへの葛藤だとか呪縛に抗う少佐殿を書きたかったのですが・・・。
 なぜにこんな意味不明な話になってしまったのでしょう。
 しかも少佐が分裂してます。ライトな少佐とダークな少佐。しかもダークに傾いてます!
  最後の台詞はドラマCDより、です。
  個人的には3と(特に)4はあまり聞きたくないです。
 (↑例のシーンで泣くあまりぜんぜん聞いてなくて後で再び聞き直した人)

   朝甫さま、こんなんですがいかがでしょう?