辺りが一瞬閃光に包まれて、続いて暗闇が冷気を伴って静かに襲い掛かってきた。 ただ怖くて、だからぎゅっと目をつぶって体を丸めた。 そうしたらなぜか冷気の代わりにふわりと暖かいものがわたしを包み込んだ。 耳元で誰かの声。 《怖がらなくていい…もう大丈夫だから》 その人の腕は思いのほか優しくて、暖かくて。 もう大丈夫なんだって安心して。 そうしたら急に体の力が抜けて。 深淵に落ちていく意識。 あの人の腕を感じながら。 それがわたしの一番古い記憶。 鍵 誰かが通路を行く足音が聞こえただけで彼女は大きく肩を跳ね上げて怯えた。 与えられる食事は半分以上がそのまま手付かずで残され口にせず、毛布で体を包みベッドの上で膝を抱え、眠っているのか起きているのか一日中そこでじっとしている。 「あんなんじゃじきに死ぬよ、あの子」 そう言って彼、ロバートはため息をついた。 「診断はとっくの昔に出てるってのに、頭の固い上は…っと、今のはオフレコということで」 「それで? 愚痴を聞かせるためだけにわざわざオレを呼んだのか?」 ロバートのむかえで少々イライラ気味の人物。 一見接点なさそうで彼も一応博士であるため、意外と何度も面識があったりするイングラム少佐。 「じゃなくて。ほら、少佐なら彼女も少しは安心するかなって思って」 「オレが?」 その表情で隣にいられては安心どころか過剰なストレスで相手が倒れるような気もするが…。 「だって彼女を発見して保護したのは少佐でしょう?」 とある市街戦の中、逃げ遅れたらしい彼女を発見し保護したのは他でもないイングラム自身だ。 「可哀想だよ。あんなところにずっと閉じ込められて」 彼女にとって不運だったのはイングラムが乗っていた機体が試作ながら最新機だったということ。機密漏洩を恐れた軍の上層部により彼女の身柄は拘束され、数々の尋問の末現在に至る。 「かなり心細いと思うよ…記憶喪失なんだし」 そう。彼女の拘束期間が大幅に伸びている理由の主なものがそれ。 はっきりとした原因は定かではないが、保護されて安堵のためか意識を失って次に目覚めたとき、彼女は自分の身の上全てを思い出せなくなっていた。 自身の名前すら。 彼女の記憶が戻る。すなわち例の最新機のことを思い出して他に漏らされては困る。よって彼女は今日までありとあらゆる検査を受け、その結果は全て同じ。 「完全に記憶を失っています。思い出す確率はかなり低いです」 口をそろえてそう言う医師たち。 しかし上層部はその1%にも満たないような可能性に怯え、彼女を拘束しつづけている。 「あれは絶対人間不信になる」 とロバート。 「そんなに…酷いのか?」 あまりのしかめ面に思わず尋ねるイングラム。 「酷いってものじゃないよ。まず誰かの足音を聞いただけで怯える。次に誰かが部屋に入っただけで震えだして近寄ると後ずさるし、触れようと手を伸ばすものなら泣き出す始末。何を言っても首を横に振るだけ。あれは相当きつい尋問だったんだね」 自分ならまず生きることを放棄するよ、とロバートは言ってイングラムを見た。 「貴方なら彼女を救えると思う」 「オレはそんな大層な人間ではない」 自嘲気味に笑うイングラム。 「誰かを救うような人間でもない」 (苦しめる存在ならまだしも) 「人は常に自分のパートナーを探してる。代えのきかないたった一人の誰か。その誰かを見つけたときに人は本当に“幸せ”といえるんじゃないかな?」 「その“誰か”がオレだと?」 「可能性があるってだけだけど」 とにかく一度会ってあげるといいよと言ってロバートは席を立った。 これから現在立ち上げているプロジェクトの話し合いだそうだ。 「システムと機体の意見交換みたいなものだけどね」 一呼吸おいてイングラムも席を立つ。こちらもこの後チームで訓練の予定があるのだ。 「それじゃ、少佐。例のエンジンの件よろしくお願いします」 ついでといった感じだがそれでも深く一礼してロバートは去っていった。 (オレも行くか…) しかし訓練開始までにはまだ時間がある。 そして偶然にも訓練場の近くに例の少女のいる施設がある。 「様子を見るだけでなら…」 こうして本当にほんの軽い気持ちで彼は彼女の元を訪れた。 決断した刹那脳裏に浮かんだのは、意識を手放すときに彼女が見せた安堵の笑み。 * * * カツンカツンと規則正しい足音。 耳にした瞬間に彼女はびくんと肩を跳ね上げた。 脳裏によみがえる思い出したくない記憶。 罵倒の声。 ダンッと力任せに机を叩く音。 ぶしつけな視線。 頬を思い切り叩かれたこともあった。 そのときの恐怖や絶望がその足音と共にやってくる。 近づいてくる。 迫ってくる 「いやあぁぁぁっ!!」 彼女は両手で頭を抱えて絶叫した。 * * * 彼女のいるらしい部屋まで後わずかというところまで来てイングラムは甲高い女性の悲鳴を聞いた。 「どうした?」 通りかかった人をつかまえて尋ねると相手はまたかという表情で教えてくれた。 「彼女ですよ。誰かが部屋の近くを通りかかっただけで叫ぶんです。そのうち担当医が鎮静剤を打ちにやってきますから」 その反応にイングラムは驚いた。 いくら毎回のことでも、ここまで無関心でいられるものなのだろうか? 誰か一人くらい気にかける者がいてもおかしくないのではないか。 「そんな奴いませんよ。第一、近寄っただけで怯えて泣き出すんですよ?」 全く彼の言ったとおりで彼女の部屋に近寄るごとにすれ違う人の数は減っていき、あと角を一つ曲がればいいというところまで来ればもはや人の気配すらしなくなっていた。 《自分ならまず生きることを放棄するよ》 不意にロバートの言葉が思い出された。 「放棄する…か」 しかし彼女はそこにいるのだ。まだ。 ドアの前で彼はいったん止まり中の気配を探った。 予想通り伝わってくるのは怯えや恐怖といった類のもの。 「…入るぞ」 一応声をかけてイングラムはドアを開けた。 一歩中に足を踏み入れてその様子に彼はしばし絶句した。 少々くすんだ白で統一された室内は決して拘束や監禁などという言葉に当てはまらないような環境なのに、彼女の入るベッドだけが異常だった。 「……」 清潔さを感じさせる白いシーツの上に毛布で包まれた塊。 それが彼女であると認識するまでに数秒を要した。 「……」 「お前が…?」 言って近寄ると彼女は過剰に反応して後ずさる。反動でぱさりと毛布が滑り落ちた。 「っ…」 彼女は見ているほうが痛ましくなって目を反らしたくなるようなほどやつれていた。 髪はほつれて頬も腕も痩せこけ、その瞳に光はない。 あるのは恐怖の色のみ。 「オレはお前に危害を加える気はない」 「…こない、で」 初めて彼女が発した言葉は拒絶で、声は今にも掻き消えそうなほどか細かった。 「…たし…なにも、しらな…」 その瞳に光るのは涙。 その瞬間イングラムの中で自身にもよくわからない何か熱いものがあふれ出て、彼女が怯えるのもかまわず近寄り気がつくとその体を抱きしめていた。 「オレは何もしない。怖がることはない…大丈夫だ」 彼女の瞳が大きく見開かれる。 同じ言葉をかつて聞いたことがあった。 「あのときの…ひと?」 「ああ。お前を見つけたのはオレだ」 するとゆっくりと彼女の手がイングラムの背に回された。 「こわ…かった、の」 その瞳から涙があふれる。 「ひと、が……くさ…きて、なにも…おもいだせ…くて」 怖かった。 不安だった。 でも助けてくれる人は誰もいなかった。 「ここは…いや。ひとりにしな…で」 イングラムはベッドに設置されていた連絡用の通信機のスイッチを入れた。 「彼女の担当医師に今すぐ来るよう言ってくれ」 |