あのね、ゆーぜす。

ぷち、おねがいごとがあるんだ。

きいて、ゆーぜす。

ぷち、おとなになりたいんだ。

それでね、ゆーぜす。

おとなになったらね……。


* * *


「ねえねえゆーぜすぅ」
「…何だ?」
 今日も平和な朝を享受しているゴッツォ家。
「ぷちね〜おねがいごとがあるんだ」
「何だ?」
 入れ立てのコーヒーを飲みながら新聞片手にユーゼスが問う。
(次は…動物園か?)
 次の休みの計画。プチのお願い事は大抵そんなものが多い。
「ぷち、おっきくなりたいの!」
「…は?」
 視線だけプチに向けて問うと、
「んもう! だ・か・ら、ぷちおっきくなるんだってば!」
 ばんばんとテーブルを叩いて真面目に聞いてよと抗議する。
「でもびるくらいおっきくなるんじゃにからね! ぷち“おとな”になるんだから」
「大人?」
「そ、お・と・なvv」
 ハートマークをつけておねだりするプチ。
 しかしユーゼスはそっけない。
「無理だ」
「えぇ!? ゆーぜすっていでんしこうがくのけんいなんでしょ?…できないの?」
 確かにプチスケンをこの世に生み出したほどの男だ。
 やろうと思えばできないこともあるまい。
「できるできないの問題ではない。お前には必要の無い。それだけだ」
「ぶーっ」
 ぷぅっと頬を膨らませてじーっとユーゼスを見る。
「ゆーぜすのけちぃ」
「そういう問題ではないといっているだろう。…さて、私は研究所へ戻る。お前はどうする?」
 基本的にユーゼスはプチの好きなようにさせていて、これといって強要することは少ない。
 ただし自分の行動には責任を持てとそれで何かがあった場合も自分で(できる範囲で)対処させている。まあ、これは危ないと思ったときはさすがに口を挟むが。
 プチは少し考えて、
「ぷちもいっしょにいっていい?」
 と聞いてきた。
 昨夜遅くまで帰ってこなかったのがよほど不安だったのだろうか。
(まあ、いいか)
「邪魔しないと約束できるな?」
「はいっ」
「出かける準備をしろ…五分だ」
「りょーかい♪」
 パタパタと走っていくプチ。
 その間にユーゼスはテーブルの上を片づけて洗い物まで済ませてしまう。
 ついでに頭の中で本日のスケジュール確認。
(今日はまず昨夜の研究レポートの見直し…それから、実験の続きを)
 そしてプチをどうするかについても。
(所長室にでも置いておけばいいな…休憩室でもいい)
 時々プチを研究所へ連れて行くが、プチは言い付けを守っておとなしくしているし、所員もこの可愛い小さなお客さんを歓迎している。特に女性研究員たちなどは休憩時間ごとにプチをかまいにやって来るほどだ。
 連日実験実験と追われている所内でプチはオアシス的存在らしい。

 きっかり五分後、ユーゼスは荷物を抱えプチを連れて彼の務める研究所へ向かった。


* * *


 所内は普段よりかなりわたわたしている。
 無理もない。学会に提出する研究の実験も佳境に差し掛かっているのだ。
 それで昨夜、プチをお隣に預けてユーゼスは明け方近くまで実験室にこもっていたのだった。
「所長、おはようございます」
「おはようございます。昨夜は遅くまでご苦労様でした」
 忙しい中でも所長の姿に気づいて挨拶していく研究員たち。
「……」
 ユーゼスはいつものようにちらりと視線を送るだけ。それでも彼らはそれがユーゼスなりのあいさつ―――する気がなければ完全無視だ―――だとわかっているから軽く一礼して慌ただしくそれぞれの仕事に戻っていく。
 時々、
「おはよーございます」
 ユーゼスの代わりとプチが可愛らしい声であいさつしてぺこりと頭を下げると、
「おはよ、プチちゃん」
 とか、
「おはよう、今日も元気だね」
 などと笑みを浮かべながら頭を撫でていく者もあった。
 ただ今日は本当に忙しいらしく、プチの存在まで気づく者は少ない。
「とおちゃく♪」
 所長室は主の性格を反映して、全体的にさっぱりとしていて余計なものは一切ない。
 調度品も最低限で仕事用のデスクと資料棚以外は来賓用のテーブルとソファーとイスが一揃えあるのみ。
「そこで大人しくしていろ」
「はぁい」
 所定の指定席―――ふかふかソファーの端っこ―――に座って、プチは持ってきたバックからノートとペンを取り出した。
 キュポンっとキャップを外して何やらお絵描き開始。
「ここがこうで…こうして」
 その様子を視界の角にとどめつつユーゼスも仕事を開始する。
 まずは昨夜の研究レポートの見直しからだ。
 昨夜はちょっとした手違いから実験が大幅に長引き家に帰れず、結局電話をかけてプチを隣のブランシュタイン邸に預ってもらった。電話に出たスーパーロボット好きの奥方は面倒見が良く、迎えに行ったときプチはすでに眠っていたが奥方は起きていて玄関口にプチを抱きかかえて出てきた。
「こいつ、さっきまでずっと起きてたんだ。“ゆーぜすがむかえにくるまでおきてる”って」
 どうやらユーゼスに“おかえり”が言いたかったらしい。
 だからこんなに遅くなってしまったことに少なからず罪悪感を抱いていた。
(しかし…これは多いな)
 何がかと言うとレポートの誤字脱字。
 確かに昨夜はよく無事に家に辿り着いたと思うくらい疲弊していたし、レポートを書いていたときの記憶すらあいまいだった。
 手早く修正してついでに次の実験の準備の指示をメールで送信。
 一通り終えてふうと一息つくと、プチも一段落したらしく紙を持ち上げてじーっと見つめ、満足げに笑っていた。
「んっ、おっけー☆」
 それがあまりにも嬉しそうだったので、
「何を描いた?」
 ユーゼスは思わず聞いてみた。
 するとプチは良くぞ聞いてくれましたと言わんばかりにユーゼスにそのノートを広げて見せた。
「これっ」
「……っ!?」
 ノートにびっしりと描かれていたものは…。
「ぶ、分子構造式!?」
 しかも高校の化学で学ぶようなレベルではない。なぜプチがそんなものを理解して…いや、そもそも描けたのか。
 思わずまじまじとそれを見詰めていて、ユーゼスはあることに気がついた。
 過去にそれに良く似たものを見たことがあるのだ。
「プチ…これは何を参考にして描いた?」
「…えっと、ゆーぜすのおへやのしたーのほうのたなのほんだよ」
 それを聞いて思い当たるものがあった。
 自室の本棚の下のほうに納められていた本。それは“生物の成長とその促進”について書かれたものだったはず。
 …プチが興味を示したのも納得がいく。
 しかし、だ。
「よく理解できたな」
 中身も外見も天下無敵のお子様なプチが、並の化学者でも頭が痛くなるような本を熱心に読みふけり、さらに内容をほぼ完璧に理解するとは…。
「さいしょのほうはりゅーにきいたの」
 とプチは言う。りゅーとはつまり、隣のブランシュタイン邸の奥方のリュウセイのこと。彼ならば高校卒業程度の知識を駆使してプチに初歩の講義はできるだろう。
「そのあと、らいにもおしえてもらったんだ」
 隣の旦那にしてみれば、やっと二人っきりの休日を満喫できると喜んでいたところに不意打ちとしか言いようのない乱入だったのだろうが、最愛の奥方の生徒(?)ならばここはひとついいところを見せて惚れ直させようなどと思った…かどうかは定かではないが、ともかく天才の名に恥じない知識でプチに解説したのは間違いないと思われる。
「すんごいわかりやすくおしえてくれたよ」
「ふむ…」
「で、さいごのほうはしらかわはかせにおしえてもらったの!」

 ばさっ

 ユーゼスの手から資料の束が床に落ちる。
「お前…シュウに、教わった、のか?」
「うんっ!」
 いつの間に…。
 ということはこのお子様。下手すると近い将来小学生にしてユーゼス以上の頭脳の持ち主になるかもしれない。
 なんたって、あの天上天下唯我独尊男のシュウ=シラカワの教育を受けた、ユーゼス&イングラムの素質(別名:二人の愛5%)+ユーゼスの努力95%の結晶なのだから。
 一歩間違えて育った日には笑顔で宇宙を崩壊させかねない。

 ユーゼス、とんでもないものを生み出したものである。

「ちゃんとできてるでしょ〜?」
 ニコニコ笑顔で語るプチ。
 一見すれば無邪気な子供。
 ただし…語る内容を知らなければ、だ。
「ん? プチ、そこの水素は一つ多くないか?」
 ユーゼスが紙面の一点を指差して言った。
「ここのきょーゆーけつごうをきって、すいそをふかさせるの」
 それはすでにお子様の会話ではない。
「ところで、お前は何を作るつもりだ?」
 少なくともユーゼスにはそれがどんな物質であるのか正確にはわからない。
 …なんとなくは察しがついたが。
 プチは再びよくぞ聞いてくれましたと瞳をキラキラさせて言った。
「おっきくなるくすりー♪」
 この場合、おっきくなる = 大人になる、である。
(朝の話、本気だったのか)
 しかもさりげなく成功率は高そうで。
 ユーゼスは己の実験のことも忘れてプチに聞いた。
「プチ、少し聞く」
「なあに?」
「トリクロロメタンの製造方法はわかるか?」
 子供に普通そんな質問はしない。ちなみにトリクロロメタンとはクロロホルムのこと。

「んっと、たしか…まずめたんとえんそにひかりをあててるでしょ。そしたらめたんのえいちいっこがとれてえんそのいっことくっついてえんかすいそになってとんでっちゃうから、もういっこのえんそがかわりにくっつくの。それがくろろめたんでおんなじようにえいちとしーえるをいれかえてじくろろめたん、とりくろろめたん…ってなるんだよ」

 だがプチは少し考えた後、すらすらと答えを述べた。
 もちろん正解。しかも何も見ずに、だ。
「ではトリニトロトルエン(略してTNT...火薬)の製造方法は?」
 面白いように答えるので、ユーゼスもついつい実験のことを忘れて目の前の小さな科学者(もどき)に質問を続ける。
「それは…」
 プチが上機嫌で答えかけたところで内線が鳴った。
「私だ」
 ユーゼスがとると、
《所長。実験の準備が整いましたが…》
 困った感じの研究員の声。
「こちらも今一段落ついたところだ。これからそちらへ向かう」
 まさか、すっかり忘れていたとは言えない。
 手早く書類と資料の類をまとめると、まだソファーに座っているプチに声をかけた。
「来るか?」
 言われたプチは一瞬きょとんとしていたが、すぐに言葉の意味を理解して、
「…いいの?」
 恐る恐るといった感じで聞いてきた。
「ああ…おとなしくしているのならな」
 すると瞳をキラキラ輝かせてノートを抱えると、ぴょんっとソファーから飛び降りてユーゼスの足元に駆け寄った。
「いく…いきたい!」
 そんなわけで、ユーゼスはプチを連れて実験棟に向かったのだった。


* * *


 実験室の端の小さなスペースをユーゼスはプチに与えた。
「こちらの邪魔をしなければ好きにしていい。ただし危険なことはするな」
「うわぁいvv」
 いくつかのビーカーと試験管を前にプチが歓声を上げる。
 さらに基本的な薬品を少量ずついれた小瓶と実験器具もひと揃え出してやる。
「所長、大丈夫なんですか? こんな子供に…」
 中にはそう言って不安を洩らす研究員もいたが、
「大丈夫だよ。なんたって所長の(つくった)お子さんだし」
 と妙なところで納得している者がほとんどだった。
 ただ、実験を始める前に研究員の一人をプチの助手(おもり)にしたあたり、やはり少しは心配だったらしい。


「それでは始めようか・・・」
 ユーゼスたちが実験を始めるわきで、
「はっじめ〜♪」
 プチも机に先ほどのノートを広げて自分の野望に向かって一歩踏み出した。


「プチスケンくんは何を作っているの?」
「おっきくなるくすりぃ♪」
 プチの助手(おもり)についた女性研究員はこのプロジェクトメンバーの中でユーゼスが特にその知識と能力を認めている者であった。加えて面倒見もよかったので、今回この任をまかされて、楽しそうにしかし慎重に薬品を混ぜるプチのわきに立って何かとサポートしているのだった。
「おっきくなる薬かぁ。それを作ってプチスケンくんはどうするの?」
 新しいビーカーを渡しながら彼女は聞いた。
「自分に使うの? それとも何かを大きくしたいの?」
「ぷち、おとなになるんだ!」
 ビーカーの中の液体をそっと混ぜながらプチは言った。
「そう、大人になるの…」
 まるで将来自分はスーパーヒーローになるんだとこの年頃の子供が抱く夢のようにも聞こえるが、プチの場合は夢は抱くだけでは終わらずに自分で何とかしようと試みているのだ。
 そして、その夢は一歩一歩確実にプチに向かって進んでいる。
 ぼこぼこと音を立てながら、薬は確かに完成に近づいているのだ。


「所長、第二段階の兆候が確認されました」
「予定より少し早いな…わかった、このまま観察を続けろ」
「はい」
 ユーゼスの方の実験も新たな段階に差し掛かった頃。
「しょ、所長っ」
 プチの助手をしていた彼女が声を上げた。
「何だ?」
 覗いていた顕微鏡から視線を上げて振り返ったユーゼスの目に飛び込んできたものは。
「っ!!?」
「こんなことって…」
 彼女も動揺を隠せずにいる。
 室内のほぼ全員が彼女の手にしているものを信じられない表情で見つめた。
「ちうちうちう…」
 彼女の持っている透明プラスチック製の飼育箱の中にはわらわらと成人したハツカネズミがぎっちり詰まっていた。
 ユーゼスの記憶に誤りがなければ、その箱の中にはつい先日生まれたばかりのハツカネズミの赤ん坊が入っていたはず。
「わぁい、だいせいこう!」
 ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶプチ。そして机の上にはこの短時間で完成してしまったらしい“おっきくなる薬”の入った瓶。
 ユーゼスはすっかり忘れていたのだが、このプチスケンとんでもなく飲み込みが早い。
 プチをつくった際に少々手を加えて知識も技術もかなり高い水準で与えていたのだ。
 つくった本人すらすっかり失念していたのは、プチの見た目と行動規準がお子様レベルで調整―――これからどのように育つのか興味があったので―――されていたから一見して普通(?)のお子様だったためで、自身の欲望には忠実という変なところをユーゼスから受け継いでいたプチだけに、その気になればクロスゲート・パラダイム・システムすらものの一年たらずで完成させかねない。そんな危険極まりない天才児だったのだ。

 ユーゼス、本当にとんでもないものを生み出したものだ。

(まさか…これほどまでに短時間で完成させるとは)
 そんな内心の驚愕も動揺も押し殺してユーゼスは一言だけ言った。
「…よかったな」
「うん!」
 本当に嬉しそうにうなずくプチ。
「それでは観察を続ける」
 こうして世紀の大発明の生み出された感動の瞬間は本当に一瞬で終わってしまった。


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