Lieben Duft 室内にイングラムの姿はなかった。 (行き違いか?) そう思ったが、出かけている間に誰かが来た形跡はない。 (探しに出ていったのか?) しかし、むしろイングラムならユーゼスが帰ってくるまでここで待っている可能性が高いと思った。 彼なら多分そうする。−−−そんな気がする。 「…待つか」 よもやこんな形で再び会うことになろうとは。 (運命とはわからないものだな) つくづくそう思う。 ユーゼスはイングラムに前々から興味を持っていた。 自分の中にあった根拠のない確信。 “彼が未来から来る” それを実際目の当たりにするまで疑いがあったことは否定しないが、それでも奇妙な確信があった。 そして本当に彼がやってきた。 彼はどうやらそのことで自分を警戒しているらしいがそんなことはどうでもいい。 科学者としての探求心と、彼個人に対する純粋な好奇心。 彼のことが知りたい。 彼を知る誰よりも……。 * * * しばらくして誰かが扉をノックする。 「誰だ?」 「ユーゼス研究員はいるか?」 言ってイングラムが部屋の主の了解無しに扉を開けて入ってきた。 「何の用だ?」 彼に背を向けたまま振り向くことなく尋ねる。 「いん石怪獣Dの資料を受け取りに来た」 「あれか。…ところでイングラム。新しい環境には慣れたかね?」 「……」 イングラムが眼差しを心持ち鋭くする。 「関係ない話をしている時間はない」 (警戒するか…まぁいい。初めは大抵そんなものだ) まるで野良猫を懐柔しようとしているような心境である。 「ギャバン…烈は元気か?」 「あ…あぁ」 急に話題を変えられてあいまいな返事を返し、 「多分あそこで一番元気だ」 小さく苦笑して答えた。 (……) そんな些細な動作にすら目を奪われる自分がいる。 (そう…それだ) 彼と言葉を交わした片手で事足りるほどの回数の中で、ユーゼスがいつも目を奪われるもの。 どうでもいいような何気ない会話の中でふと彼の見せる“表情”。 普段の冷静沈着で表情を表に出さないその顔に浮かぶ様々な色。 喜び・怒り・悲しみ…笑いや照れなどの様々な感情の色。 知りたい。 自分が知らなくて他の誰かが知っているなど許せない。 「…元気そうだな」 つられてほんの少し苦笑すると、 「お前もな…」 イングラムが微笑して言った。 「……」 今度こそ本当に目を奪われる。いや、全身の感覚全てが彼に向いた。 同じ男に向かって言うのもなんだが、TDF基地に配属になってからイングラムは前にも増して綺麗になったと思う。 外見上ではなく内面的に、だ。 戦いという刹那の中に身を置くと、人は自身の輝きを増すものらしい 時々こっちに来ているらしく、女性の隊員や研究員の噂話を聞く事もある。 「ねぇねぇ、今日イングラム少尉来てたらしいのよ」 「えぇ〜!? 残念。私見てな〜い……」 「カッコイイわよねぇ…やっぱり付き合ってる人とかいるのかなぁ」 話題はもっぱらそういう方向である。 どうせ自分のことではないし無視して聞き流してしまっていいのだが。 「でもあの部隊、女性の比率低いらしいし…」 何を考えているのかユーゼスのいる実験室の前で声をひそめることなく話し込んでいるのだ。 確かにその通路は人通りが少ないためちょっとした休憩やサボりの場として活用する者も少なくはない。 その中の幾人がその目の前の部屋にいるユーゼスにその話を聞かれていることを知っていることか。 一方ユーゼスも好き好んで話を聞いているわけではない。 そうでなくても通路はよく声を反響させる。しかも通路を通る人は希で音を遮るものもない。 聞きたくなくても聞こえてしまうのだ。 ユーゼス本人としては話すのは勝手だがこううるさいと実験に集中できない。 だから、最近は話し声がすると実験を中断して休憩を取ることにしていた。 「あぁ…一度でいいから少尉と一緒に歩いてみた〜い」 「あんたじゃ無理無理」 「ひっどい…ま、あんたじゃつりあわないでしょうけど、私ならねぇ…」 「冗談! ま、妄想するのは自由だし♪」 その日も変わらず女性隊員同士の他愛もない会話が繰り広げられていた。 「それより、今日はSRX部隊も一緒だったのよ」 「あ、そっちは私も見た」 実験室でコーヒーを飲みながらユーゼスはその話を聞いていた。 (…噂話などしている暇があるなら自然環境の回復にでも努めろ) そんなことを考えながら。 「なんか可愛い子がいたらしいけど?」 「知らないの? リュセイ=ダテ少尉。あのバルマー戦役でSRXのメインパイロットしてたのよ。彼」 「うっそぉ!? あんな可愛いのに?」 「念動力とかいう力を持ってるって噂。…アヤ大尉より凄いらしいの」 (……) “念動力”という単語にユーゼスは興味を示した。 (地球にはまだ謎の力があるというのか…興味深い) コーヒーカップを手に話に耳を傾ける。 「じゃ〜ん。写真のがその彼」 「きゃ〜☆ かっわいい〜〜」 「でしょう? あ、駄目。これしかないんだから」 写真を取り合っているらしく戸の向こうが少々騒がしくなった。 「あれ? これ…一緒に写ってるのってライディース少尉?」 「そうなのよ! 信じられる? あのライディース少尉の微笑」 ライディース=F=ブランシュタイン少尉。一度だけ会ったことはあったが“冷めた男”という印象が強かった。その彼が、微笑とは言え笑っているところなどユーゼスには想像できない。 「もしかしてこの子と?」 「だってこんな表情ほかじゃ見れないよ?…怪しいと思わない?」 どうやら二人とも乙女の妄想モードに入っているらしい。それからしばらく基地内の誰と誰(どちらも男だ!)が怪しいなどと話に花を咲かせ、 「イングラム少尉なら…」 と話が微妙な方向を向きはじめた。 「ビジュアル的にはライディース少尉…あ、でもリュウセイ少尉も捨て難いかも〜」 「そうそう。一緒に歩いてたりすると絵になりそう」 (…) 女というものはどうしてそんな想像ができるのかユーゼスには理解しがたい。 どうして…もとい、何が楽しくて同性同士でくっつかなければならないのか。 「私はリュウセイ少尉が怪しいと思うなぁ」 「何で?」 「…実は」 そこで片方が声をひそめた。 と言っても室内のユーゼスには十分聞こえるのだが。 「リュウセイ少尉、なんかすごくなついてるみたいだし…それに私見ちゃったの」 「何を?」 「人気のない通路でイングラム少尉の腕にしがみつくリュウセイ少尉のす・が・た☆」 「きゃ〜〜☆」 女の甲高い黄色い悲鳴。 「でしょ〜?」 ぴくり ユーゼスの眉が動いた。 何か一瞬もやもやしたものが胸を圧迫したような。 (…?) 「でもやっぱりライディース少尉とリュウセイ少尉よねぇ」 「一番怪しそう」 「……」 すでに彼女達の声など全く耳には言っていなかった。 もやもやはまだ消えない。 胸の奥の方でまだゆらゆらしていて時々顔を覗かせる。 「ユーゼス?」 黙り込んでしまったユーゼスを不審に思ってイングラムが言った。 「調子でも悪いのか?」 間近に寄るイングラムの少々心配そうな顔。 知らず知らずのうちに後ずさり視線を反らす。 「し、資料はそこの棚の上段にある」 焦って言うとイングラムはユーゼスから離れ棚の方を向く。 「これか?」 無造作に積まれた紙の束に手を伸ばす。 棚はかなり高くイングラムでも本当に手を伸ばさないと上まで届かない。 「あ…」 ぐらり、と棚が大きく揺れた。 その棚こそユーゼスが部屋を空けていた理由。例の立て付けの悪い棚だったのだ。 かなりの大きさのそれがこちらに向かって倒れてくる。 「ぐっ…」 二人で必死に体重をかけて何とかバランスを取り戻す。 ゆらゆらと危なっかしく揺れていた棚が安定したのを確認して、二人で同時に深いため息。 「…ふぅ」 そして二人で同じように、思わず棚に手をついた。 それがいけなかったらしい。 がくんっ 「っ!!?」 急いで手を離して棚が倒れることはなかったが、棚の上段に置かれていた瓶の一つが大きくバランスを崩した。 しかし二人はまだ気づいていない。 かたんっ 「ん?」 イングラムが物音に気づいた。 「何か音がしなかったか?」 「何?」 かたんっ 再び小さな物音。 「…?」 辺りを見回す。 と、ユーゼスが棚の上で危なっかしく揺れる瓶に気づいた。 「! 危ないっ」 ユーゼスの声にイングラムがはっと棚を見る。 その瓶はよほど重力に好かれていたらしい。イングラムが顔を上げたのとほぼ同じにそれが二人の上に落下してきた。 ぴしゃん 「…うくっ」 液体の冷たさに呻き声がもれた。 さて、ここで質問。 棚から落ちてきた薬品入りの小瓶。中身を被っちゃったのはどっちだと思う? →ユーゼス or →イングラム |